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散歩コース

1.散歩コース(具体的な場所は「周辺地図」を参照してください)

丸山公園
当マンションから徒歩2分(周辺地図を参照してください)四季の変化を感じられる親しみやすい公園です。

 

 

 

 

 

みなとみらい21を眺めるコース
 1周15分(周辺地図を参照してください)
 写真は、コース途中の公園から撮ったものです。

 

 

 

 

 

 

岡村天満宮  当マンションから1.2km 徒歩16分(周辺地図を参照してください)
  鎌倉時代初頭に創祀された、横浜では、師岡熊野神社、富岡八幡宮に次ぐ古社です。当マンションの前の道は、この岡村天満宮の旧参道でした。戦前は、人々は国道16号線の天神橋から、当マンションのエントランスの角を曲がって参拝していたのです。
 昔の岡村天満宮は篤く信仰され、お祭りのときには、天神橋から天神様まで人の列が絶えることはなかったそうです。戦前までは、この道沿いに商店街が発達していました。今からは、想像できませんよね。
 大正時代に、私の祖父がその繁栄ぶりに目を付け、金久商店を開き味噌・醤油の製造・販売を始めました。当マンションは、その店と工場があった場所なのです。当時は、バス通りに沿って丸山公園から脳血管センターまで、大きな味噌樽が数十置かれた倉庫が並んでいたそうです。
 小さいころは、叱られるとその樽に入れられました。ときどき、それを親が忘れてしまい、私も眠ってしまい、夜に目が醒めると真っ暗な中に取り残され、本当に怖かったことが今でも夢に出てきます。半世紀を超越するトラウマです。
 皆さんにお伝えしたいことがあります。中・高・大学の受験に霊験が高いことです。少なくとも私や弟には御利益がありました。私の場合、大学は志望校ではなかったのですが、学生生活は最高で結果オーライでした。神の計らいは人智を越えているのでしょう。本当に感謝です。昔この神社が盛況だったのもうなずけます。隠れたパワースポットです。

岡村公園 当マンションから1.4km 徒歩18分(周辺地図を参照してください)
 春には、梅、そして桜が楽しめます。野球場やテニスコートもあります。関東富士山百景の一つです。写真は、野球場のフェンスの外から撮ったものです。当マンションの周辺は、市街地にいながら富士山の裾の下まで見える絶景ポイントです。
 ここより北(横浜駅方面)では丹沢山系に邪魔され富士山の裾が見えません。また、ここより南(金沢方面)では、箱根・伊豆の山が富士山の裾を隠してしまいます。ただし、横浜南部から北鎌倉までなら、高い標高ならどこでも(鎌倉で140m以上)、富士山が裾まで見えることは言うまでもありません。

富士山

富士山眺望コース
 1周で30分 (周辺地図を参照してください)
 蒔田谷戸田第二公園が終点です。朝日を浴びた富士山や、夕空をバックに黒いシルエットとして浮かぶ富士山が美しいコースです。
 脳血管センターの裏の、写真右奧に進むと、左側に山に続く階段がありますので、そこを登って行きます

 

 所々で、富士山が顔を出し、公園があり、市街地が見下ろせ、東京湾と房総半島を見ることのできる変化のある楽しいコースです。
周辺地図には、一つの例だけ書きましたが、たくさんの脇道があるので、ご自分でお気に入りのルートを見つけてく。

ださい。
 写真右は、コースの途中で見える東京湾と房総半島です。

岡村小学校と桜道 当マンションから1.2km 徒歩16分(周辺地図を参照してください)
 岡村小学校の入口に続く「桜道」は趣きがあります。下から行くのも良いのですが、上記の富士山眺望コースの途中で寄った方が好みです。幼稚園児のころまで、大好きだった秋田犬とよく散歩したからです(もちろん大人と一緒です)。私より大きい犬だったのですが、名はチビでした。
 当時は、当マンションのすぐ前の坂から、チビが引っ張ってくれるので楽ちんで山に登り(今はマンション敷地で入れません)、尾根沿いに歩いてここまで来ました。そして、通りに降りて自衛隊岡村駐屯地(現在の岡村公園)に向かうことが楽しみでした。その周囲は大型昆虫の宝庫だったからです。橋を渡ったところが桜道です。ゆずの曲で桜道は全国的に有名になりましたが、その歌を聞くと遠い昔が思い出され、少し感傷的になります。

(桜道3:http://www.youtube.com/watch?v=zrxXlG_IqEk

桜道1
 桜道を君と駆け足で登った
 白い息が空に舞い上がっていった
 あんなに長かったこの坂道が
 やけに短く思えた冬のある日

桜道2
 桜道を君と駆け足で登った
 ふと見上げた空が夕焼けに染まってた
 通い慣れてたこの坂道が
 やけに懐かしく想えた春のある日

桜道3
 桜道を君と駆け足で登った
 振り返った町がほんの少し変わっていた
 子供のころ転んでひざを擦りむいた
 ふいにそんな事想い出した春のある日


 なお、当マンションでは、残念ながら秋田犬は、他の犬に攻撃的になることがあるので屋上ドッグランで遊ぶことはできませんのでご了承ください。チビも、普段は優しい犬でした。小型犬が吠えても子供がいたずらしても知らんぷりでした。しかし、他の中型以上の犬が威嚇しようものなら性格が一変し、凄まじい獰猛さで向かって行き、相手の犬がギブアップするまでは攻撃の手を緩めませんでした。

三殿台遺跡

三殿台遺跡
  当マンションから1.4km 徒歩18分(周辺地図を参照してください)
 縄文~弥生時代の遺跡で、国指定史跡です。入場料は無料です。
 私が小学1、2年生のころ、発掘を手伝い(邪魔し?)、ご褒美にいただいた土器のかけらのいくつかを母校の滝頭小学校に寄贈した(学芸員の方に滝小の先生に渡せと指示された?)思い出があります。そのお陰で、歴史や考古学が好きになり今日まで続いています。
 三殿台考古館には、発掘された貴重な史料が展示されています。特に、縄文土器にはエネルギーがあります。また、竪穴式住居がいくつも復元されています。自由に入れるので、古代人ごっこをしてお子さんと遊んでください。
 そのとき、ぜひ体験して欲しいことがあります。それは、四季折々に竪穴式住居に入ってしばらくいることです。夏は涼しく、冬は寒さをしのいでくれることが分かります。竪穴式住居は、古代の日本人が考え出した地熱利用のエコハウスだったのです。
 ここから見る富士山もきれいです。三殿台考古館のホームページによれば、12月~1月にかけては月のうち約半分は富士山を見ることができるそうです。

久良岐公園(23万㎡) 2.1km 徒歩27分
 大都市の住宅地の中にある公園にもかかわらず、三方を山に囲まれた公園になっています。「藤の木中学校」の前にある入口から入ると、こじんまりした日本庭園があり、久良岐能舞台が建っています。その奧の坂を上り進むと、面積以上に広く感じる公園となっています。大岡川や根岸森林公園ほどではないですが、桜の隠れた名所です。遊具がたくさん揃っているので子供には楽しい所です。夏には、ホタル観賞会もあります。

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根岸なつかし公園・旧柳下邸
 当マンションから 1.3km 徒歩17分(周辺地図を参照してください)
 関東大地震でも残った近代和風住宅です。そこにいると、大正~昭和初期の暮らしが目に浮かんで来て、なぜかホッとします。

ドルフィン 
当マンションから1.9km 徒歩25分(周辺地図を参照してください)
 松任谷由実の名曲「海を見ていた午後」で有名なレストランです。
http://www.dailymotion.com/video/x2qoab_yyyyyyyy-yyyy_music 

 あなたを思い出す この店に来るたび
 坂を上がって きょうもひとり来てしまった
 山手のドルフィンは 静かなレストラン
 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える

 

 ソーダ水の中を 貨物船が通る
 小さなアワも恋のように消えていった

 あのとき目の前で思い切り泣けたら
 今頃二人、ここで 海を見ていたはず
 窓にほほをよせて カモメを追いかける
 そんなあなたが 今も見える テーブルごしに

 紙ナプキンには インクがにじむから
 忘れないでって やっと書いた遠いあの日

白滝
   当マンションから2.5km 徒歩31分(周辺地図を参照してください)
 ドルフィンの前の坂を降りると、白滝があります。21系統のバス停「不動下」からだと徒歩2分です。落差20m、幅5mという横浜市内で最大の滝でした。マンションが建つ1970年代までは、現在の数十倍の水量がありゴウゴウと瀑音を轟かせていました。
 滝に沿って、聖光学院・根岸森林公園方面へ抜ける急な階段(白滝不動尊の参道)があります。かつては、この階段をボクシングの内藤大助選手が何度も上り下りしてトレーニングしていました。40年前には、私も、朝練で10kgくらいのカバンを持って階段を3回往復して学校まで全力疾走しました。息は絶え絶え目は回り吐き気もして1時限目は授業になりませんでした。

根岸森林公園(19万㎡)
 当マンションから2.4km 徒歩30分(周辺地図を参照してください)
 広い芝生が広がる、開放感あふれる公園です。隠れた桜の名所です。芝生の上にピクニックシートを広げて、家族でお弁当を食べると気分爽快になります。
 併設する馬の博物館(入園料:大人100円、小・中・高生30円)では、無料で、馬車に乗ったり、乗馬や引き馬を楽しむことができます。

 

・美空ひばりさんの生家
 当マンションから120m 徒歩1分30秒
 お父さんが経営していた魚屋の「魚増」と家族が住んでいた所です。今は全く面影はありませんが、この狭い通りは商店街でした。東京オリンピックの数年前までは、多くのお店が並んでいました。その狭い商店街とさらに狭い路地とが交差した角の家がひばりさんの生家です(「周辺地図」を参照してください)。
 ひばりさんが住んでいた家には、今は、親戚の方が住んでいますので、くれぐれも覗いたりしないでください。60年以上経つので建て直ししたのではないかと思うのですが、両親によればリフォームしていますが、建物自体は昔のままだそうです。また、「魚増」の店は丸山市場に移り、いとこの方が経営しています。市場の外の路上で客の目の前で魚を焼き販売しているので、すぐ分かります。

芸能人 その1
 実は、昔の楡井家と加藤家(ひばりさんの本名)は親しかったのです。当時の楡井家には、味噌・醤油の製造販売を行っており、若衆がたくさんいました。幼い頃から丁稚に入り、学校に通いながら働いていたのです。麹菌(こうじきん)と会話ができる本物の職人になるには、小学校3年生以上になると手遅れだからだそうです。たくさんの人が重労働で汗をかくので、風呂場には一度に大人2~3人が楽に入れる大きな五右衛門風呂がありました。

 

 当時の一般家庭には風呂がないところが多かったので、ひばりさんは家族でお風呂に入りに来ていました。進駐軍で歌うために、父が美空ひばりさんに英語を教えたこともあったそうです。それらは、私が生まれる前のことなので親からの伝聞です。

 

 私が覚えていることは、私の祖母と美空ひばりさんのお母さんが親しかったことです。お母さんは、ひばりさんのマネージャーとして忙しい中でも時間を割いて、義理の母親(ひばりさんの祖母)のもとを年に何回か来てお世話をしていました。そのときは、必ずうちの店の前に、黒いキャデラックが3台止まります。当時の国産車と比べると余りに大きかったので、幼い私は4人掛けの座席で前後8人乗りだと信じていました。その大きな車から小柄なお母さんが降りて来るのです。そして、我が家に寄ってくれ、祖母と何か談笑していました。

 

 その後、滝頭小学校と当マンションの間の道を、徒歩で義母が住んでおられた屋敷(最初の「ひばり御殿」)に向かったのです。当時の道幅は2.5mくらいしかなかったので、大きな車は通らなかったからです。屋敷は、その道と四間道路の交差した所にありました。現在は、貸し駐車場になっています(バス停「滝頭地域ケアプラザ前」の斜め前)。

 

 私も、父も、隣の滝頭小学校を卒業しているのですが、美空ひばりさんも滝小卒です。私の1・2年生のときの担任だった岡野先生は、加藤和枝(美空ひばりさんの本名)さんの5・6年生の担任だったそうです。既に売れっ子だったので、授業には1/3しか出席しなかったそうです。

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